三角 泰利 の日記
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ひふみ神示│地震の巻.019④
2021.04.08
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天国の政治は、光の政治である。
天国にも地上のごとく太陽がありその太陽より、光と熱を発しているが
天国の太陽は、一つではなく二つとして現われている。
一は月球のごとき現われ方である。
一は火の現われ、火の政治であり
一は水の現われ、水の政治である。
愛を中心とする天人は、常に神を太陽として仰ぎ智を中心とする天使は、常に神を月として仰ぐ。
月と仰ぐも、太陽と仰ぐも、各々その天人、天使の情動の如何(いかん)によるのであって神は常に光と、熱として接し給うのである。
またそれは、大いなる歓喜として現われ給う。
光と熱とは、太陽そのものではない。
太陽は、火と現われ、月は、水と現われるが、その内奥はいずれも大歓喜である。
光と熱とは、そこより出づる一つの現われに過ぎないことを知らねばならぬ。
このことをよく理解するが故に天国の政治は、常に光の中にありまた熱の中に育ち栄え、歓喜するのである。
天国の太陽よりは、真と愛が常に流れ出ているがその真と、愛とは、太陽の中にあるのではなく現われ出たものが真と見え愛と感じられるのみである。
太陽の内奥は大歓喜が存在する。
故に高度の天人の場合は、愛も真もなくはるかにそれらを超越した歓喜の・が真・善・美・愛となって、多くの天人、天使たちには感じられるのである。
歓喜は、その受け入れる天人、天使、霊人地上人たちの持つ内質の如何によって千変万化し、また歓喜によって統一されるのであるということを知らねばならぬ。