三角 泰利 の日記
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ひふみ神示│地震の巻.011①
2021.03.18
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霊人は遠くにいても近くにいても、常にお互いに語り得る。
同一線上にいる霊人の言葉は、いずれも同一であって共通する。
霊人の言葉は霊人の想念のままに流れ出るのであるから、そのままにして通じるのである。
しかし、相手が聞くことを欲しない時には聞こえない。
それはちょうどテレビやラジオのごときものであると考えたらよい。
またその語ること、その語音によって、その相手のいかなるものなるかを知り得るのである。
すなわち、その発音から、また言葉の構成から、その霊人のいかなるものなるかは、ただちに判明する。
霊人の言葉と地上人の言葉とは本質的には同様であるが、その表現は相違している。
故に、霊人と地上人と会話する時は、霊人が地上人の想念の中に入るか、地上人が霊人の想念に和するか、そのいずれかでなくてはならない。
しかし、霊人の言葉は、地上人の言葉に比して、その内蔵するものが極めて深く広いが故に、霊人の一語は地上人の数十語、数百語に価する場合が多く、その霊人が高度の霊人であればあるだけ、その度を増してくるのである。
原因と結果とを一にし、さらに結果より生じる新しい原因も、新しい結果をも同時に表現し、なお言葉そのものが一つの独立せる行為となり、かつ一つの独立せる生きものとなって現われ、行為し、生命するからである。
言葉そのものが弥栄であり、生命である。
またすべてであるということは、地上人には理解出来ぬであろう。
それは過去が現在であり、未来もまた現在であり、さらに生前も、生後の立場においては生後であり、死後の立場においては死後である。
また一里先も、百里先もまた千万里離れていても、同一の場所であるのと同様であって、理解するに極めて困難である。
だが、地上人においてもそれを知り得る内的な生命を持っているのであるから、理解することは困難であるが不可能ではない。