三角 泰利 の日記
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ひふみ神示│地震の巻.009②
2021.03.16
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この一点に地上人の共通する誤りたる想念が存在する。
悪を消化し、悪を抱き、これを善の悪として、善の悪善となすことによって、三千世界は弥栄となり、不変にして変化極まりなき大歓喜となるのである。この境地こそ、生なく、死なく、光明、弥栄の生命となる。
地上人の持つ想念の本は霊人そのもであり、霊人のもつ想念の本は大歓喜である。
故に、地上人は霊人によってすべての行為の本をなし、霊人は神により、神は大歓喜によってすべての行為の本とする。故に地上人そのもののみの行為なるものはない。いずれも、神よりの内流による歓喜の現われであることをしらねばならぬ。
歓喜の内奥より湧き出づるものは、霊に属し、外部より発するものは体に属する。
霊に属するものは常に上位に位し体に属するものは、常に下位に属するのであるが、体的歓喜と霊的歓喜の軽重の差はない。
しかし、差のない立場において差をつくり出さねば、力を生み出すことは出来ず、弥栄はあり得ない。すなわち善をつくり力を生み出すところに悪の御用がある。
動きがあるが故に、反動があり、そこに力が生まれてくる。霊にのみ傾いてもならぬが、強く動かなければならない。体のみに傾いてもならぬが、強く力しなければならない。悪があってもならぬが、悪が働かねばならない。
常に動き栄えゆく、大和の〇を中心とする上下、左右、前後に円を描き、中心を・とする立体的動きの中に呼吸しなければならない。それが正しき惟神かんながらの歓喜である。惟神の歓喜はすべてのものと交流し、お互いに歓喜を増加、弥栄する。故に永遠の大歓喜となり、大和の大真、大善、大美、大愛として光り輝くのである。