三角 泰利 の日記
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ひふみ神示│地震の巻.009①
2021.03.15
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霊、力、体の三つがより良く調和するところに真実が生まれ、生命する。これは根本からの存在であり用はたらきであるが、動き弥栄する道程にいて、復霊、復力、復体の渦巻きの動きをなす。霊の立場よりすれば、霊波善であって、体は悪、体の立場よりすれば、体は善であって、霊は悪である。
悪あればこそ善が善として救われ弥栄する。善あればこそ悪は悪の御用を為し得るのである。悪は悪善としての神の中に、善は善悪として神の中に弥栄る。
力がそこに現われ、呼吸し、脈打って生命する。故に生前の霊人は、生前界のみにては善なく、生命なく、地上人との交流によって始めて善悪として力を生じ、生命してゆく。
地上人は地上物質界のみの立場では悪なく、生命なく、生前界との交流によって始めて悪善としての力に生き、弥栄して行く。
而して、なお地上人は死後の世界に通じなければならぬ。死後の世界との関連により、複数的悪善に置かれる。善悪善の立場に置かれる場合が多いために、地上における司宰神としての力を自ら与えられるのである。
善悪の生かされ、御用の悪として許されているのは、かかる理由によるものである。善のみにては力として進展せず、無と同じこととなり、悪のみにてもまた同様である。故に神は悪を除かんとは為し給わず、悪を悪として正しく生かさんと為し給うのである。
何故ならば、悪もまた神の御力の現われの一面なるが故である。悪を除いて善ばかりの世となさんとするは、地上的物質的の方向、法則下にすべてをはめんとなす限られた科学的平面的行為であって、その行為こそ、悪そのものである。