三角 泰利 | 日記 | ひふみ神示│地震の巻.008②

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三角 泰利 の日記

ひふみ神示│地震の巻.008②

2021.03.14

最後の審判に至れば自ら体得し得るのである。
これは外部的なる智によらず、内奥の神智に目覚めることによってのみ知り得る。
新天新地新人はかくして生まれ、呼吸し、弥栄える。
しかし、新人と生まれ、新天新地に住むとも、その以前の自分のすべては失われない。
ただその位置を転換されるのみである。
地上人が死後、物質的に濃厚なる部分を脱ぎ捨てるが、その根本的なものは何一つとして失われず生活するのである。
その状態よりもなお一層、そのままであって何等の変化もないと思えるほどである。
蛆虫が蝶になるごとく弥栄えるものであって、それは大いなる喜びである。
何故ならば、大歓喜なる大神の中において、大神のその質と性とを受け継ぎ呼吸しているからである。
すべてのものは歓喜に向かい、歓喜によって行為する。
歓喜がその目的であるが故に、歓喜以外の何ものも意識し得ない。
故に、歓喜より離れたる信仰はなく、真理はなく、生命はない。
生前の霊人が地上人として生まれて来るのも死ではなく、地上人が霊界に入るのもまた死ではなく、弥栄なる誕生であることを知らねばならぬ。
歓喜は行為となる。
行為せざる歓喜は、真実の歓喜ではない。
ただ考えたり意志するのみでは萌え出ない。
生命しない。
ただ意志するだけで行為しない事はまことに意志することではない。
霊界においては意志することは直ちに行為となるのである。
地上人にあっては物質によって物質の中に、その意思を行為することによって初めて歓喜となり、形体を為し弥栄えるのである。

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