三角 泰利 の日記
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ひふみ神示│地震の巻.005③
2021.03.08
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浄化、弥栄することにより、善悪美醜のことごとくは歓喜となる。
故に、神の中に神としてすべてが弥栄ゆるのである。
悉くの行為が批判され、賞罰されねばならぬと考える地上人的思念は、以上述べた神の意志、行為、弥栄と離れたものである。
歓喜に審判なく、神に戒律な無い。
戒律は弥栄進展を停止断絶し、審判は歓喜浄化を裁く。
このことは自らを切断することである。
裁きはあり得ず、戒律はつくり得ず、すべてはこれ湧き出でる歓喜のみの世界となることを知らなければならない。
行為は結果である。思念は原因である。
原因は結果となり、結果はただ、結果のみとして終わらず、新しい原因を生む。
生前の霊人は、生後の地上人を生む。
地上人は死後の霊人を生み、死後人たる結果は、さらに原因となって生前の霊人を生む。
⦿は渦巻きとなって廻り、極まるところなくして弥栄る。
以上述べたところによって、これら霊人、地上人、地上人の本体が歓喜と知られるであるう。
されば、常に歓喜に向かってのみ進むのである。
これはただ、霊人や地上人のみではない。
あらゆる動物、植物、鉱物的表現による森羅万象の悉くが同様の律より一歩も出でず、その極内より極外に至るのみ。
故に地上世界の悉くは生前世界にあり、かつ死後の世界に存在し、これらの三は極めて密接なる関係にあり、その根本の大呼吸は一である。
生前の呼吸はそのまま生後、死後に通じる。
地上におけるすべては、そのままにして生前なるが故に、生前の世界にも、家あり、土地あり、山あり、川あり、親あり、子あり、兄弟姉妹あり、友人あり、また衣類あり、食物あり、地上そのままの生活がある。
地上人、地上生活を中心とすれば、生前、死後は映像のごとく感覚されるものである。
しかし、生前よりすれば、地上生活、物質生活は、その映像に過ぎないことを知らねばならぬ。
時、所、位による美醜、善悪、また過去、現在、未来、時間、空間の悉くを知らんとすれば、以上述べたる三界の真実を知らねばならぬ。