三角 泰利 | 日記 | ひふみ神示│地震の巻.004②

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三角 泰利 の日記

ひふみ神示│地震の巻.004②

2021.03.04

そしてまた、各々の集団の中心には、その集団の中にて最も神に近い霊人が座を占め、その周囲に幾重(いくえ)にも、内分の神に近い霊人の順に座を取り囲み運営されている。
もしそこに、一人の場所、位置、順序の違いがあっても、その集団は呼吸しない。
而して、それは一定の戒律によって定められたものではなく、惟神(かんながら)の流れ、すなわち歓喜によって自ら定まっているのである。
またこれら集団と集団との交流は、地上人のごとく自由ではない。
すべては⦿の ﹅ を中心として⦿の姿を形成しているのである。
﹅ と⦿とを、生前の世界において分離することは極めて至難ではあるが、ある段階に進む時は一時的に分離が生じる。
しかし、この場合も ﹅ は ﹅ であり、⦿は⦿である。
これが地上世界の行為に移りたる場合は不自由不透明な物質の約束があるため、その分離、乱用の度がさらに加わって、真偽混乱に及ぶものである。
悪人が善を語り、善をなし、真を説くことが可能となるがごとく写し出されるのである。
生前界では、悪を意志して悪を行うことは、御用の悪として自ら許されている。
許されているから存在し、行為し現われているのである。
この場合の悪は、悪にあらずして⦿の⦿であることを知らねばならない。
すなわち、道を乱すが故である。
地上人の悪人にも善人にも、それは強く移写される。
愛は真により、真は愛により向上し、弥栄する。
その根底力をなすは歓喜である。
故に、歓喜なきところに真実の愛はない。
歓喜の愛は、これを愛の善という。
歓喜なき愛を、愛の悪というのである。

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