三角 泰利 の日記
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ひふみ神示│地震の巻.003③
2021.03.02
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世を捨て、外部的、肉体的諸慾を捨てた生活でなければ、天国に通じ得ぬと考えるのは誤りである。
なぜならば、地上人における肉体は、逆に霊の守護をなす重大な役目を持っているからである。
地上人が、その時の社会的、物質的生活を離れて、霊的生活にのみ入るというのは大いなる誤りであって、社会生活の中に行ずることが、天国への歩みであることを知らねばならない。
天国を動かす力(ちから)は地獄であり、光明を輝かす力(ちから)は暗黒である。
地獄は天国あるが故であり、暗は光明あるが故である。
因は果にうつり、呼が吸となりゆく道程において、歓喜はさらに歓喜を生じる。
その一方が反抗すればするだけ他方が活動し、また、強力に制しようとする。
呼が強くなれば吸も強くなり、吸が長くなれば呼もまた長くなる。
故に地獄的なものも天国的なものも同様に神の呼吸に属し、神の脈打つ一面の現われであることを知らねばならない。
天国に限りなき段階と無数の集団があると同様に、地獄にも無限の段階と無数の集団がある。
なぜならば、天国のいかなる状態にも対し得る同様のものが自らにして生み出されねばならぬからであって、それにより、大いなる平衡が保たれ、呼吸の調整が行われるからである。
この平衡の上に立つ悪は悪ではなく、偽は偽でなく、醜は醜ではなく、憎は憎でなく、また地獄は地獄でない。
地獄は本来ないのである。
また、この平衡の上におかれた場合は、善も善でなく、美も美でなく、愛も愛でなく、そこでは、天国も天国でない。
ただひたすらなる大歓喜が弥栄えるのみである。