三角 泰利 の日記
-
国家論の2つの型
2019.11.28
-
国家論の2つの型
①人類にとって、国家とは悪質な癌細胞のごときものであって、国家組織の増殖の行き着く先は、人類の死滅、自滅になる、という考え方である。太田龍はこの立場に立っている。
②人類は国家の形成と共に始めて人類独自の道を歩み始めたのであって、国家組織出現以前の人類は、動物界の一員にすぎず、人類の名に値しない、野獣の一種にすぎない、とする考えである。これが今日の常識、定説である。
吉本隆明の国家論は、この第2の型の一変種である。
19世紀前半の西欧の生まれた種々の社会主義理論の国家論は、第2の型に属している。この共通の基礎の上に立ちながら、それは2つに分かれた。
①自給自足コンミューン(自治共同体)の自由連合の拡大によって資本主義経済制度、及び中央集権的国家を廃止していこうとする傾向。
②国家の機能に2つの側面を認識する。その一つは階級支配、それに伴う独裁的抑圧の機能であり、二つは中央集権的生産管理の機能である。前者は政治革命=プロレタリアート権力の樹立によってひっくり返す。すなわち、少数者(ブルジョアジー)による多数者(プロレタリアート)の抑圧をひっくり返して、多数者(プロレタリアート)による少数者(ブルジョアジー)の抑圧に切り換える。そしてこのプロレタリアートの執権権力は生産の科学的管理についてはブルジョアジーよりもうまくやれるし、生産力の発展も保証できるので、豊かな社会が実現され、やがては少数者=旧ブルジョアジーに対する暴力的抑圧も不要になり、この意味では国家は死滅するが、国家の生産管理の機能は未来の社会においても継続され、本格的に発展してゆくとする。
大田龍「マルクスを越えて」抜粋