三角 泰利 の日記
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「超古代日本語が地球共通語だった!」.15
2019.11.26
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ペトログラフは人類の最高の文化遺産
これまでの世界の言語学や考古学、文化人類学、民俗学、歴史学などの総合的成果として、ラテン語やギリシャ語、サンスクリット語などの祖語として原インド・ヨーロッパ語(原印欧語)が古代世界に存在したことが知られている。
ところが、ここ30年の世界的研究で、先史時代の岩石に刻まれたペトログラフが世界的に分布し、しかも「それらはおそらく共通の文字であった可能性が強い」ことが傍証され、説得力を増してくると、「ペトログラフこぞ原印欧語の基の文字ではなかったか」と言われるようになった。どこまで言語の源流へ遡れるかは問題だが、原印欧語がある日突然に現れたことはありえないから、それ以前の言語の文字としてペトログラフが「先史時代のいつの時期かの世界共通ごであった」ことは否定できない。
目を日本語や日本の文字に転じてみると、我々が今日使っている漢字、片仮名や平仮名などの音と意味を持つ語彙があったことがわかる。漢字が日本に入る以前から、片仮名や平仮名のような文字で音と意味を表わす言葉があった。
その頃の文字とされるものには、国語学では公式に認められてはいないものの、真仮名、阿比留草文字、豊国文字、出雲文字、和字など多くの文字が各地に残されているのは事実である。
日本列島の北韓道から沖縄までの各地で見つかっているペトログラフのなかには、少なくとも3つか」4つの系統が明白に存在している。たとえば島根県のペトログラフには山口県や九州で見つかるものとは異質の文字が混じっているし、同じ九州でも大分県宇佐地方のと鹿児島県坊津のとでは異質のものがある。それらの分析も今後の課題である。
しかし、何より重要なことは、言語年代で6000年から7000年前に成立したとされる日本語の原初文字は、少なくとも現在見つかるペトログラフとはどこかで関連していたはずだから、そこを明らかにすれば、日本の原初文字がおぼろげながら現れるはずである。古代の世界で同じ言葉を使い、文字も共通するものが多かったとすればなおのことペトログラフと日本原初文字は強い関連を持つものとなる。
まだ十分な資料もないので推定の範囲でしかいえないのだが、私はたとえば出雲で見つかったペトログラフはのちの出雲文字に、北部九州発見のペトログラフは阿比留草文字や豊国文字の原型になった可能性は高いと考えている。それはオーガム文字が山窩の縄文字やインディアンのキープ文字と関連する以上に高い確率で連鎖するものと思うのである。
日本ではペトログラフ学はまだほとんど知られていない学術分野であり、ここに出てきた記述や学説は、先進欧米諸国の学会で定説化された論考をベースにしている。
日本のペトログラフが外国からきたものか、また逆に日本のペトログラフが先史時代に世界的に広がったのかは、まだいずれとも断定できない。
終わりにあたり、それぞれの方が、身近なところでペトログラフをはじめとする古代からの人類の文化遺産を発見され、またすでに見つけられているものについていっそうのご理解を深められ、保存、保護の面でもぎ支援を賜るようお願いするものである。