三角 泰利 の日記
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「超古代日本語が地球共通語だった!」.2
2019.11.13
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「平家のたたり」がある!?…時を超えて存在を主張していたペトログラフ
現場は海抜100メートルほどの小高い丘陵の頂上の平地で、1メートル角ほどの岩が5個、古代神殿の面影をしのばせるように、1か所にまとまって置かれている。そこから関門海峡を挟んだ九州の門司港が南に、日本海に続く響灘が西に、関門海峡と響灘を結ぶ水路を挟むように立ち並ぶ造船所の家並みが北に一望できる地点である。
いまは家庭菜園を楽しむ近所の人たちがてんでに開墾して、畑が山頂を包んでいるものの、昔は「近づくと平家のたたりがある恐れの杜」とされ、一面の雑木林で、そこを通行するのさえ嫌がられた場所だったという。
唐突に聞こえるかもしれないがペトログラフには説明しがたい神秘的なものがあり、発見にあたって隊長に変化を起こしたり撮影を行うと黄金の光が現れたり、また、ぞんざいに扱っている人やその家族に病気や不幸が訪れたり、あるいはその逆があったりということがあった。
たとえば、この石を用いて三菱造船所の社宅建設が行われたところ、杉田丘陵の頂上付近で、飛び降り自殺としか思えない事故死があったり、相次いで原因の熱病にかかり、もだえ苦しんだ末に死ぬというような事件が続けさまに起きたのである。私は一種の磁場であると考えている。
いずれにしろ、「平家のたたり」もこれに類するものではなかっただろうか。ペトログラフが作られた当時のことが失われ、民俗や伝承と化していくなかでも、こうしてその存在を主張してきたのである。